の続きです
4、1999年7月。見知らぬ土地での受験勉強。
共に過ごす友達はカズヤだけだった。
カズヤと僕は、大学には一切顔を出さなくなった。今まで大学ではシンジさんとは会っていたが、僕らは予備校に一日中いりびたる様になり、あまり会わなくなった。会う友達といえばカズヤだけだった。彼は、授業がない日でも自習室に通うため、予備校にやってきた。そしていつも一緒に行動していた。
しかしこの頃最もつらかったのが、「孤独」であった。
僕達は地元ではなく、遠く離れた見知らぬ神戸という地で浪人生活を送っていた。地元の友達、高校時代の友達など一人もいない。笑い合う仲間も、応援してくれる家族さえもいない。一人だ。ただひたすら一人だ。
そんな中、唯一の友達というのがカズヤだった。
特に受験が加速し出してからは、まともに話をするのはカズヤだけだった。毎日、人間と交流するのは彼だけだった。友達は彼しかいなかった。
ただし家ではそんなの関係なく全くの一人だ。ご飯を作ってくれ、応援してくれる家族もいないし、冬の毎日は心まで寒い。ただ僕にはネコが一匹いた。
家では彼しかいなかった。いくら予備校で勉強するとはいえ、僕は10時間中半分の5時間は家でこもって勉強していた。
だからこのネコにも本当に助けられた。みなさんはおかしいかと思われるかもしれないが、このネコとも親友だった。なんせ家ではこのネコとしかいないからだ。狂った環境ゆえ、こんな感情を僕は持ってしまったのかもしれない。
ただ当時の僕は本当に、話す相手、交流する相手はカズヤとこのネコしかいなかった。心のよりどころはここしかなかった。
「むなしいね」「あわれだね」誰もが僕のことをそう思うだろう。その通りだ。だからこそ僕はここから抜け出さなければ無かった。勉強しなければならない。今すぐ机に向かわなければならない。
僕はもし「浪人する」というなら、やはり自宅が一番いいと思う。寂しくなったら家族がいるし、地元の友達がたくさんいる。絶対孤独な「一人暮し」での浪人生活は勧められない。
季節は夏が過ぎ、冬がやってきた。身も心も寒い冬だ。
5、1999年11月~2月 絶対抜け出てやると心に誓う。
受験勉強ラストスパ−トへ!
受験勉強といえば、順調だった。
12月の段階での最終成績判定は、英語国語数学3教科で偏差値67。英語数学2教科で68というところまできていた。
志望校である早稲田の政経は3教科67。慶応の経済学部は2教科66。問題ない。確実に「脱出。合格。」この文字が浮かび上がってきた。これならいける、と自信がついてきた。
ただ確実性をさらに強固なものにするため、受験校を6校も増やした。万全を期したい。やりたい事は夜間を脱出して、遊ぶこと。何よりも夜間に帰ることだけは許されない。
だからこそ偏差値で「これは!」と思えるところを片っ端から受験することにした。
学部とかは関係ない。偏差値を基準に志望校を選んだ。当然だ。だって偏差値を追い求めてこの一年間受験勉強を続けてきたのだから。「偏差値の高い大学に行きたい」全てはここだ。
2000年2月、ついに受験が始まった。
6、受験本番、脱出を目指し全力をぶつける!
そして衝撃の結末が待っていた!
結果発表。
信じられない結果が僕のもとに次々とまいこんでくる。
上智大学法学部(偏差値66)
早稲田政治経済学部不合格。(偏差値67)
慶応大学経済学部不合格。(偏差値66)
早稲田商学部不合格。(偏差値65)
中央大学法学部不合格。(偏差値65)
僕は何がなんだか分からなかった。「何故なんだ!」「どうしてなんだ?」こう叫ぶしかなかった。「奇跡で合格する」というのはよく聞く話だ。しかし僕のは「逆の奇跡」だ。受かるべくして受験を試みたぼくだったが、奇跡の様に落ち続けた。
僕は結局全ての大学のキャンパスに足を運び、この目で合格掲示板を眺めた。
どこの大学でも、「合格できる」「やりきった」という思いで目を凝らした。しかしことごとく番号はなかった。信じられない。ただこの一言だった。
僕は正々堂々頑張った。偏差値は60後半は確実にとれるまで頑張った。「夜間」から抜け出すため10時間必死に頑張った。この一年間、大学生として何にも楽しいことはなかった。それだけ頑張ったんだ。
惨めだ。その時の僕を見れば、誰でもそう感じるはずだ。
真剣にやって、それでも勝負に敗れた時、そんな本当にショックを受けた時は、僕は泣くものだと思っていた。しかし違った。本当にショックな時、人間は黙るしかないのだ。
7、2000年3月。「失意の都落ち」・・・しかし悔いはなかった。
落ちただけでは、全て終わらなかった。その結果を家族、地元の高校の友達に知らせなくてはいけない。こんな屈辱はない。僕は耐え切れなくなって、早稲田商学部合格発表のその日に、もう東京を離れることにした。この東京にいるべき人間ではないと感じたのだ。 家族や友達にいくら話しても、僕の一年間は分かってくれない。そりゃそうだ。彼らが僕を評価するのは、「結果」だけ。だって僕がやってきた神戸での過程は、彼らは一切知らないのだから。偏差値がこうだった、これだけ勉強した、こんなことはどうだっていい。そんなことに彼らは耳も貸さないし、どうだっていいのだ。唯一聞いてくれるのは、「結果」だけだ。
だから結果である、「全敗」という事実を見れば、彼らにとって僕は、一年間何も勉強をしていない「愚かもの」という事になる。
そんなことはイヤでも分かったから、僕は逃げ出すしかなかった。誰かに分かってほしかったが、誰も分かってくれる人はいない。それが僕に突きつけられた現実だ。
早稲田の合格発表のあと、僕は神戸に帰る準備をしていた。そんな時、僕に一本の電話が入ってくる。カズヤからだった。
彼は早稲田のみ全学部受験が終わり、今神戸にいるらしい。今日は受験した全ての学部の合否を一気に、電話で確認していたということだ。
彼の声、状態は僕と同じものだった。彼も商学部、教育学部、法学部に立て続けに落ちていた。「仕方ない。力がおよばなかった。」彼はそうこぼしていた。
本当は政治経済学部(偏差値67)の第一希望の発表もあった。しかし商、教育(偏差値65)を落ちた段階で、「もう政経はないな。これ以上不合格という結果を知りたくない。」ということで、彼はショックのあまりそこで電話を置いたらしい。
二人で話した。「夜間を抜け出すというのは、本当に難しい。」
僕にはもう後悔はなかった。カズヤと一緒にやっていこう、そう心から思った。
8、親友カズヤの合格!狂おしいほどの嫉妬!
「自分が何をしたいのか」に気付く!
次の日の昼、僕はカズヤの携帯電話に連絡した。これからのことを話し合うために、まずは会おうと伝えるためだ。しかし彼は電話に出なかった。
「何か用事があるのか。」僕はそう思った。
しかし夕方になっても、彼は電話に出なかった。5、6回はかけたと思う。彼はついに夜になっても、電話に出なかった。「おかしいな。」「何かあったのかな。」僕はそう思った。僕は何が起きているか知る由もなかったのだ。
深夜になった。1時近く、ようやく彼は電話に出た。僕はやっと戦友の声を聞けて、嬉しかった。しかし彼の声はいつもとどことなく違う。どこかぎこちない。
「神戸に帰ってきたよ!これからのことを話すために、一回どこかで会わないか。落ちちゃったけど、僕もいろいろ考えたんだ。いつ暇なる?明日はどうだい?」僕はこう切り出した。
しかし彼は「うっ、うん・・・。そうだねぇ・・・。」とおかしい。
「どうしたんだ?何かあったか?」と僕が聞いても、彼は「いっ、いやぁ・・・。」と繰り返すばかり。僕は仕方なく、会う約束の話を進めていくと、彼はたまらなくなったのか、ついに真実を告白した。
この時の衝撃は今でも覚えている。
「すっ、すいません・・・・。実は僕、受かったんだ」
「はっ?」僕は彼が何を言ったんだか理解出来なかった。しかし次の瞬間全てが分かった。
「商や教育、法までダメだったから、絶対に落ちていると思って、電話で最後の政経学部の合否確認出来なかったんだけど、昨日の斎藤さんと話した後、ダメもとで電話したんだ。そしたら、うっ受かってた・・・。」
僕は何も言葉が出なかった。そしてこの後、彼は最も衝撃的なセリフを口にする。
「だから申し訳ないんだけど、斎藤さんと一緒に夜間に戻れないわ・・・。ゴメン・・・」
彼は僕に最大限の気を遣っていた。だからずっと電話に出なかったのだ。
一生懸命頑張った仲間を置いて、自分だけが受かってしまった。
僕は動転していた。何を彼に言っていいか分からなかったし、何も自分の中で整理できていない。ただ「ゴメン・・・。」という彼の言葉が、僕に突き刺さった。
僕はもう彼とは電話が出来なかった。「おめでとう」そう告げたあと、僕はすぐに電話を切って、ベッドの中に飛び込んだ。
親友の合格だ。それも単なる親友ではない。この一年間何をするのも一緒だった、家族以上とも言える関係だった。その彼と僕との間に、今とてつもない差が開いたのだ。昨日までは確かに一緒だった。イヤ、一年間ずっと一緒だったのだ。しかし今は違う。僕は惨めに「夜間に残るもの」なのに、彼は「夜間を抜け出す、光り輝いた勝者」なのだ。
もう誰もいなくなったのだ。カズヤがいないのだ。
「落ちても悔いはない」こんなこと、もう言えなかった。事情が一変したのだ。
この時改めて、僕は「何で僕が落ちたのか・・・。」と激しく思った。そして親友カズヤに対して、狂おしいほどの嫉妬を感じた。
僕は眠れなかった。その時、僕は泣いていた。初めてだった。
不合格の時でも涙は出なかった。だけど今はあふれる位の涙が出てきた。一晩中、僕は泣きながら自分の惨めさを痛感したのだ。
親友の合格だ。何で喜べない、そう思うかもしれない。そう、僕は最低だったのかもしれない。しかしどう言われても仕方ないのだ。僕は彼に狂う程嫉妬し、そして何よりこんな惨めな自分に絶望していた。こんな自分を見たのは、初めてだった。ただどうにもできない。これが僕の真実の姿なのだ。
その時から、僕の前でカズヤは、「絶対的な勝者」として映るようになっていた。もう今までのような友達ではいられなかった。
久しぶりに会ったシンジさんと一緒に、僕はカズヤの引っ越しを手伝うことになった日のことだ。仲間だということで、引っ越しを手伝うのは当然だったが、この時はつらかった。
彼のアパ−トに行くと、そこには「もういらない、必要ない」と言わんばかりに、使い終わった参考書や過去問題集、予備校のテキストが「ゴミ」としてヒモで縛ってある。そしてその横には早稲田政治経済学部の入学書類が置いてある。
普通の人だったらこんな風景、別に何とも思わないだろう。しかし僕には辛かった。胸がつかまれる様なそんな苦しい気持ちになった。
受験を終え、勝利者となった彼の立場と、受験に失敗し、敗者である僕の立場を痛感したのだ。
彼は僕に気を遣っていた。そんな参考書のたばを見ては、「僕はバカだったからこんなに参考書を使ったんですね。」とか言ったり、当然話題に出るはずの、これからの東京での生活という事に関しても、「禁句」として一切話さなかった。それだけ気を遣ってくれたのだ。いつもは何でも話せたのに、今は何も話せない。一緒に笑うことだってできない。 僕ははっきりと感じた。カズヤと僕は、もう住む世界が違うのだ。
ずっと一緒だった。本当の親友だった。しかし今では、彼とはもう住む世界が違うのだ。現実だ。これが現実だった。
彼が気を遣えば遣うほど、僕はこの現実を痛感した。
神戸大学の教務係で、僕は夜間への「復学届け」を出した。そして彼は「退学届け」を出した。もういたたまれない気持ちになった。
そして僕の目の前から彼が消えた。東京に引っ越したのだ。
普通の受験生だったら、友達が受かっても、目の前から消える程環境は変化しない。しかし僕達は違った。彼はもう別の世界に行ってしい、会うこともできないのだ。
本当に「差」がついた。
僕は一人になったとき、何日たってもカズヤへの嫉妬に狂い、そしてこの現実について考えていた。「早稲田の政経。夜間脱出。」本当に心から羨ましく、そして妬んだ。
確かに受験勉強には悔いはない。あれ以上は出来なかった。「ここまでやってもまだ受からない。僕には才能がない。」としっかりあきらめた。
しかしカズヤが受かった。ここで話は一転したのだ。
僕はここで正直に心に問いかけた。建て前ではない本音を問いかけてみた。
「才能がない。」そう言えばもう勉強しないで、「夜間」に残っていられる。楽になれる。
しかしそんなことよりも、一体僕は何がしたいんだ、どうなればいいんだ、と問いかけた。
答えは本当に簡単で、しかも当然のものであった。
「夜間を抜け出したい。」まさに原点だ。原点に帰ってきたのだ。
そしてその答えを「じゃあ何で夜間を抜け出したいのか」と問いつめてみた。何ゆえ「夜間」にこだわるのか。そして僕は正直になった。
「いい大学に入りたい。いいブランドを身につけたい。自分で何にも言わないでも、人から認められる様なブランドを手に入れたい。」
これが全ての本音だった。やりたい勉強のため、将来の方向のため、こんなことはどうでもよかった。ただ「いい大学に行きたい。ブランドが欲しい。」これだけだった。
本当にくだらない結論だった。こんな事は受験界ではタブ−とされていることだ。「大学とは勉強するところだ。大学名なんかじゃない。」こんな話は山ほど聞いた。
しかしそんな事、僕には全く関係なかった。そんなレベルの高い話は、僕には考えられなかったのだ。
ともかく「大学」も僕の中では、「勉強するところ」なんて以前に、一つのブランドに過ぎなかった。
だってそうだろう。事実、「どこどこの大学です。」って聞いた瞬間、その人の評価はある程度決まる。「あぁすげぇ、頭いい。」自分で何も言わないでも、認めてくれる。
みんな「その人がどういう人間か」、まで突っ込んだりしない。何故ならそこまでみんな他人に関心ないからだ。自分で精一杯なのだ。
だけど他人と付き合わなきゃいけないから、そうなると自分以外の他人をどういう人か評価する必要がある。面倒くさいから、その人の持つ「ブランド」だけ見て、「この人はこんなもんか」と、簡単にすませる。
学生なんて別にまだ社会に出ていないんだから、社会的地位は「金」でなんか決まらない。唯一「差」がつくのは「大学名」くらいだ。だから「大学名」は、自分を良く見せるブランドなのだ。誰だって自分を良く見せたい。「どこどこの大学に通っている」こんなことでもその人の評価は決まる。
事実、「学歴社会ではない。」といっても、やはり低いレベルの大学出身では、一流会社の面接さえ受けさせてくれない。まず学歴がないと、スタ−トにさえ立てない。こんな事から分かる様に、「大学名」はブランドの一種だ。
「くだらない」「大学名なんかで決まらない」もしそう考えて、「学歴」を否定しても、現実の社会に出れば、「大学名」から、「どれだけの地位にいるか、年収はどれくらいなのか」といった、言わばそんなブランドに変わるだけだ。
それでしか評価されないという事態は、何も変わらない。単にマンションに住もうと思っても、「入居審査」である程度の地位にいないと、住むことさえ許されない。「俺は地位はなくても、これだけ素晴らしい人間だ!」って叫んでも、誰も聞いてはくれない。それが現実だ。本当に甘くない。
どうすればいいか?
答えは簡単だ。いい大学に受かればいいのだ。
そうつまり「受かるまで受験をヤリ続ければいい」のだ。こんだけ受験勉強しても落ちた。だけど誰も「落ちたけど、斎藤君はすごいよね」なんて認められない。ならばやはりやるしかないのだ。
この受験とは「不合格」では終わらない。いや、終わることは出来ないのだ。「合格」しなければ終わらないのだ。受かればこんな苦しいコンプレックスから抜け出せる、受かれば楽になれるのだ。全ては受かってからだ。
受からなければ、この今までの一年間は単なるムダに終わる。何故なら評価されないからだ。ブランドにこだわる今、自分の評価はどうだってよかった。やはり他人の評価だ。 僕は思った。自分の評価なんて、まず他人の評価があってから出来るもんだ、と。
そして僕は受からないといけない、もう一つの理由があった。それはカズヤだ。彼は僕の人生の中で、本当にかけがえのない親友だ。今まで出会ったことのない同志だ。
このままでは住む世界が違えば、彼とは気まずくて、話すことさえ出来ない。この数日の様子を見れば分かる。結果として、彼は前に進み、僕はこの場に残った。このままでは差が開く。ならば僕も彼と同じ世界に、追いつけばいいのだ。そうすれば、彼と今まで通り友達でいられる。
これが本当の友達ではないだろうか。
人間必ず差が出る。いつまでも、仲良しこよしではいられない。そんなとき、「もう住む世界が違う、といって縁を切るのか?いや、自分も頑張って追いついてやろうと行動を起こさなければならないのではないか。
「いつまでも友達でいる」には、大変な努力が必要なんだ、とこの時初めて思った。僕が受かれば、彼とも笑って話せる。僕が1年目落ちたことも、笑い飛ばせる。
「彼とは友達でいたい。」そう思った僕は、やはり受かるしかなかった。
この時思った。「経過ではなく、結果なのだ」と。
もう二度と向かいたくないという机に、僕はまた座っていた。大っ嫌いで、苦痛のなにものでもない勉強を、僕は再び始めた。
こんなことはイヤだ。しかし、また皮肉なことだが、楽になるには、自分を救うには、受験勉強をヤラなければならないのだ。今すぐに机に向かわなければならない。
偏差値70からの大学受験Part4に続きます。
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