からの続きです。
大学2年生編
2000年大学2年生
1、2000年4月。夜間に一年振りの復学!王将、笑顔のお出迎え!
僕は1年ぶりに夜間に復学した。
大学の授業は、大体4月の上旬から始まる。それまで、家で受験勉強を相変わらず続けていた僕は、久しぶりに大学に行くことになった。授業初日のことだった。
僕は落ちてからの一ヶ月、屈辱に耐えられなくて、ほとんど人間との接触を絶っていた。だからこそ気分転換に大学はもってこいだ。そう思って僕は家を久しぶりに出た。しかしそれは大きな間違いだった。休学するときに考えていた、「落ちたら何言われるか分からない」という事を忘れていたのだ。
授業初日、一年ぶりに僕はあの長い、そして辛い山道を僕は登り、ようやくキャンパスにたどり着いた。
授業少し前で、食堂でまた勉強しようと向かっていたら、前から見たことのある奴が歩いてきた。王将だった。そうあの模擬試験を見せて、反感をくらった彼だ。僕はとっさに「まずい」と思ったが、もう時すでに遅かった。
彼は僕を発見すると、満面の笑みを顔に浮かべ、駆け寄ってきた。「落ちたんだって?」彼は嬉しそうに僕に声をかけた。僕はようやく気付いた。落ちたらこれが待っているという事を。
王将はあれだけ自分を不快にさせた奴が、見事に失敗して帰ってきたので、本当に元気になっていた。「落ちたんだって?どこ受けたの?そんなに受けたのに全部落ちたのかぁ。オマエには難しかったんだね」と、一方的にしゃべりだした。
そして彼は、最も僕の感情を逆なでする発言をかます。
「やっぱりね。俺は落ちると思っていたよ。オマエは本当に根性がないからなぁ」笑いながらこう言ったのだ。彼はもしかしたらそこまで悪気はなかったのかもしれない。冗談だったのかもしれない。ただ僕は一切笑えなかった。
「違う!あれだけ勉強したんだ!勘違い野郎ではない!」僕はこう叫びたかった。
「本当は受かったんだ!」
ただ僕は結果として落ちた。だから何も言えなかった。
僕は苦しまぎれに、王将にこう返した。
「オマエは龍国大学から仮面浪人で、ここに受かったんだよね。よく成功したね。すごいよ。僕も君みたいだったらなあ。」
龍国から神戸大学夜間と、夜間から早稲田慶応ではレベルが全然違う。そんな事情を踏まえての、僕からの精一杯の皮肉だった。しかし彼には僕のそんなささいな攻撃は、全く通じなかった。それどころか、彼はそれを「褒められている」と勘違いして、ご機嫌になってしまったのだ。
「そうだねぇ。龍国から仮面浪人したときは辛かったなぁ。オマエはそういう辛さに耐える力が、無いんだよ。俺は本当にあの時頑張ったよ。仮面浪人とはこういう風にするんだぜ・・・・・・・」と、あげくの果てには、「龍国脱出」の自慢と「仮面浪人とは」の説教話が始まった。
もう笑うしかないのかもしれない。しかし僕は笑えない。引き続き黙って彼の話を聞くしかなかった。僕は思った。ここでキレて王将に殴りかかっても、何も始まらない。こん悔しさをにぎりしめながら、頑張るしかない、合格するしか道はないのだ、と。
僕は本当に悔いがないくらいに頑張った。だからこの落ちた悔しさは、計り知れないくらい大きい。王将のこの「お出迎え」は本当に脳裏に焼き付いた。ヤル気がますますわいてきた。
王将はこう繰り返した。
「カズヤは受かると思っていたよ。オマエはもっと頑張らなくちゃいけね−よ」
王将にはこの時1年ぶりに会った訳で、彼は僕の不合格やカズヤの合格を、何故知っていたのだろうか。後々分かったことだが、僕達の情報はどこからともなく流れ、ほとんどの知り合いには恐るべき速さで広がっていたらしい。「偏差値情報」かつ、他人の不幸話に、彼らがどれだけ興味を持っていたのか分かった。別にこれを否定はしない。夜間に限らずコンプレックスはどこにでもあることなのだ。ただ身をもってこの真実を実感しただけだ。
王将に限らず、高校の友達などからも僕は認められなかった。親からでさえもだ。過程は結局どこからも評価されなかった。僕は自分の中にある「仲良しこよし」という価値観が、もろくも崩れ去っていくのを感じた。
2、夜間オ−ルスタ−ズ!
コンプレックスの勇者達がついに登場する!
僕は授業に出た。ただ去年休学してしまったので、ほとんど僕は「新入生」みたいなもんである。だから2年生だけど、1年生の授業に出ることになった。僕は正直有り難かった。というのも同期のほとんどの2年生は、僕の不合格を知っており、あまり顔を会わしたくないからだ。しかしそれは間違っていた。
もちろん同期には変な奴がたくさんいたが、この共に授業を受ける「新入生」の方が、数段狂っていたからだ。今考えてみれば「よく揃ったな」というくらい、コンプレックスにまみれた人間達がそこにはいた。
まずは最初の授業、僕は「ヒルマ」「イガ」「IQ」という奴と知り合いになった。全員年は同じの1浪生だった。こいつらが別名「オ−ルスタ−」の代表だ。
「ヒルマ」という奴だが、彼は神戸大学「昼間」を受験して、不合格。そして名前を得るためだけに、この「夜間」に入学してきたらしい。会った時から、「僕は昼間を受験した。一応,私立関西学院(偏差値58)は合格した。」と自己紹介をかまし、僕は彼から「夜間にいるけど、本当はもっと出来るんだよ」という意識がビンビン感じられた。やはり卑屈に生きている奴はいない。
そして「イガ」という男だが、彼も立命館(偏差値57)には受かったが、名前だけ得るためにここに来たらしい。そして傑作だったのが、「自分は小学生の時に、学校の手違いで5年生を2回やってしまった。だからオレは年は君と同じだけど、現役でこの夜間にやってきた」というのだ。
彼は自分が「夜間」に1浪して入ってきたことをエラク気にして、怪しいウソをついて隠そうとしていた。ここにも「俺は本当は頭がイイんだ」というアピ−ルが出ていた。「どんな些細なことでも、自分はバカにされたくない」というプライドが、全面に感じられた。
ここまででも十分おかしいのだが、次のIQという奴が一番おかしかった。Mrコンプレックスと言っても過言ではないだろう。
「自分はIQ160」、彼はそう僕らに自己紹介した。IQ160と言えば、「天才」である。
IQは知能指数の略で、学力にはある程度比例すると言われている。普通の人間は100で、チンパンジ−は80という感じからすると、彼は間違いなく「天才」だ。本やインタ−ネットで調べてみたが、IQ160あれば、本一冊でも一回読めばほとんど暗記してしまう位らしい。まして受験勉強なんか取り組めば、楽々偏差値80ラインまでくるかもしれない。
しかし彼は受験をやった結果、「夜間」にいることはだけは間違いない事実だ。それに彼のその後の行動などを見ていても、どうにもそんな「天才」だとは思えない。
こういう妙な自慢も、「自分は頭がいいんだ」という表現の一つにしかなかったのだろう。「神戸大学夜間」では、どこに行っても「頭がいいね」とは評価されない。だけど卑屈になれないから、こういう風に自分で自分に「IQ160」というブランドを張り付け、「大学名ではなく、このIQ160で俺を評価してくれ。どうだ、頭がいいだろう」と言いたいのだと思う。
「俺は本当は頭がいいんだ」これを認めてほしい、この考えは僕と同じだ。
しかし「ここにいては認められない。頭がいいってほめられたいなら、イチイチ自分で自慢したくないなら、良い偏差値の大学に行かなければならない、それなりのブランドをつけなければならない」ということに、彼らは気付いていない。いや、気付いているけど行動に移してはいないのだ。これではやはり、今までの夜間生と同じだ。
そして入学した彼らの自慢のし合いを聞いた後、何となく「夜間脱出」めいた話になった。脱出と言えば、「編入」が一番現実的な手段かもしれない。だから彼らは「編入!編入!」と早くも燃えていた。
ところがその後、彼らはその「受験」よりも簡単な「編入」でさえも、手をつけられなくなる。1ヶ月もたてば、そういう話は一切聞かなくなった。
「イガ」は「この大学が好きになったから」と言うし、「ヒルマ」は「俺は勉強をやりにここに来たから、編入なんてくだらない」と返された。
「ヒルマ」や「イガ」はこの後、「受験!受験!」と活発に活動しだす僕に、最後まで「くだらない」とか「何やってんだ」「やめろ」と妨害してくる。そして僕のワルグチを周りに繰り返し、ちょっかいをだす。
1浪目にも言ったことだが、本当に「偏差値」や「夜間」に満足しているなら、僕が脱出しようとしても「無関心」のはずだ。
しかし彼らはそうはいかないのだ。コンプレックスの塊だった。
ただここでも言い訳が一番おもしろかったのは、IQだった。
「編入はどうしたの」と僕が聞くと、彼は「やめた」という。
その大きな理由は、「編入なんて簡単だから、そんなことよりももっと別の試験をやっているよ。レベルが高いことしようよ」というのだ。
彼は現在「司法試験」を勉強しているらしい。司法試験合格によって、「自分は夜間だけど、司法試験に受かったんだ。すごいだろう」と言いたいのだろう。
確かに編入試験はそこまで難しくはない。一般の入学試験に比べると簡単だ。教科数も英語と論文だけである。だからこそその気になれば、真っ先に手にできる勝利だ。「夜間」から抜けだし、堂々と自己紹介出来るブランド大学生になれる。
ではどうして「編入」をやらずに、それより100倍くらい難しい「司法試験」などに手を出すのか。司法試験などは偏差値70の東大生でも苦戦するような、最難関の試験である。
答えは簡単だ。彼はほんの少しの勉強も出来ないのだ。だから「編入」のわずかな勉強でさえ辛くて取り組めない。そんな自分をごまかすため、受かりもしない司法試験を、”一応”目指しているのだ。受かるためにやっているのではない。「そんな難関を目指しているんだよ、俺は」というブランドを、手にするためだけにやっているのだ。
世の中にはこういうことがよくある。司法試験や官僚の試験といったハイレベルな場では、「記念受験」という人達が大半である。彼らは「受かる」ために受験するのではなく、「受験した」という証拠を得るために、やってくるのだ。「あぁそんなレベルの高い試験を目指してたんだ。すごいね」と言ってもらうために受験するのだ。
本当に些細なブランドだ。しかし少しの勉強も出来ないIQにとって、この些細なブランドにすがりつくしかなかったのだ。編入をすれば楽になる。しかし勉強はイヤなのだ。それに編入はやればそこまで難しくないだけに、「受かること」が求められてくる。「受かる」「落ちる」がリアルに分かってしまう。勝負することになる。傷つく可能性も出てくる。
ところが司法試験なら、「絶対に受からない」という結果がやる前から分かっている。だから勉強なんかしないでもいい。ただ「目指している」という、簡単に手に入るブランドがあればいいのだ。
司法試験合格、これは受験の何倍もの努力が必要だ。だからこそ受験である程度頑張れなかった奴は、ほとんど受かるなんて事はないのではないか。事実、合格者のほとんどは偏差値の高い一流大学出身者ばかりだ。
「学歴」とは「努力出来るか、出来ないか」の基準でないかと僕は思う。だから偏差値の高いヤツは、努力出来る。努力すれば様々なことが、自分のものになる。そういう風にして、彼らは一歩一歩階段を昇り、最終的に「司法試験合格」を手にするのだろう。
もちろん「学歴」なんか関係なく、司法試験合格出来る人達もいるだろう。ただそういう人達は、相当の心がけと「絶対受かる。そのための死ぬほどの努力をしてやる」という熱意がなければならないだろう。
僕はIQもそのタイプだと思いたかった。しかし違った。彼は大体2ヶ月程で、「司法試験」から「公認会計士」、「国家一種試験(官僚採用試験)」、「国税調査官試験」ところころ目標が変わっていったのだ。その度に「司法試験なんてやっぱつまらない」とか、「官僚試験なんか簡単。目指す価値なんかないよ」だとか、「口先」が先行し、僕を失望させた。
しかも彼はその度に高い月謝を払い続けて、すべてムダにしていた。これではとても「IQ160の天才児」とは信じられないだろう。
彼はもう「コンプレックス」の渦の中に飲み込まれていた。
「夜間」という生活の中で、彼らのコンプレックスはさらに加速する。しかし最後まで行動は一切起こさなかった。そんな彼らだからこそ、僕は全員にとって「敵」と見られた。そういうことが大きな刺激となり、僕を異常な方向へと駆り立てていくのだった。
3、4月−6月。偏差値70からの大学受験スタ−ト!
僕の目指すラインは、絶対合格の偏差値80ラインだ。では、いかにしてそんな未知なる領域にたどり着くか。
そこで「どう勉強するか」ここで一年間のある程度のプランを決めることにした。
ともかく確実に合格を狙うのには、「数学」だけしか3教科目の武器がないというのは、心細い。というのも去年の受験で分かった事だが、数学はギャンブル過ぎるということだ。模擬試験なら大体問題が30題近くある。その中には基礎からハイレベルな問題までたくさん入っている。だからパタ−ンを暗記すれば、基礎から標準な問題を完璧に得点し、6割程度稼いで、偏差値70近くは確実に取っていた。しかし一流大学の問題はハイレベルのみの4題しか出ない。これではパタ−ン暗記だけでは、とても応用できない。ギャンブル的要素が多すぎる。
僕は覚えて覚えてひたすら覚えて、数学の偏差値を上げていったのだ。そんな数学的才能のない僕にとって、「一瞬でひらめく」という事が要求されている問題では、とても「安定」を持って対処できない。
確実に一回の場で勝負を決めるには、第一に安定性が大事である。
やはり覚えれば確実に得点できる、「社会」も勉強しようと思った。選択肢はあればあるほどいいに決まっている。ただ今からやるので、1年間では偏差値は60後半までが限界だろう。
つまり来年の受験までに、英語国語は偏差値80。数学は偏差値70代。社会は60後半。ここまでやれば、早稲田慶応はもちろん、「東大」まで確実に見えてくるだろう。
この時僕は、受験直前期の時と同じ勉強スタイルを続けていた。それは早稲田慶応などの一流大学の過去問題を、2回3回繰り返すというやつだ。この時は、早稲田慶応はほぼ全学部持っていたので、近くのコンビニに通いコピ−を繰り返していた。英語や国語はこの調子をキ−プした。
これで実力が伸びるのか分からない。ただ勉強をやっていて「苦しかった、辛かった」この感覚を僕は大事にした。苦しい、辛いと自分が思っているならば、それはレベルの高い難しい問題で、力になっているという事だ。「簡単、ラクチン」と思っていれば、それは簡単な問題であり、たいして疲れるはずもない。従って力がつかない。
そして問題は社会だ。ここで僕は公民をやることにした。理由は簡単だ。そうあの男、カズヤがやっていたからだ。
この因縁の受験のキッカケは、カズヤだ。だから社会はカズヤと同じ教科を選び、カズヤと同じ条件で僕も合格してやる、と決心した。
勉強方法は分からない。予備校で分かりやすく解説してくれる授業を、取るお金なんてどこにもない。そんな事は関係ない。「ともかく覚えればいいんだろう。苦しめばいいんだろう」こう心に決めると、僕は4教科目に手を出した。理解とかそんなこと関係ない。参考書を片っ端から覚えていった。
例えば「ケインズという学者は、ケンブリッジ学派に所属している」という項目があったとする。そうしたら、僕は何のことか分からないけどその名前を覚えた。問題で「ケインズはどこの学派?」と聞かれたら、答えられるようにだけした。その解答パタ−ンを覚えた。ケンブリッジ学派って何の事?って質問されても、もう分からない。つまり暗記しまくりで、立体的に理解したという訳ではなかった。興味なんか何もない。試験で得点出来るためだけの勉強法だ。ただ機械的に覚えてやった。
「この教科に興味がある」だとか、「この教科を勉強していけば、大学に授業で役に立つ」とか関係ない。ウダウダ能書をたれている暇があったら、何でもいいから得点を稼ぎ、偏差値をとらなければいけない。そして合格しなければいけない。
「不運」など起きえない驚異の偏差値をとり、1浪目の時の様な「逆の奇跡」が起きたとしても、それでも合格を確実に勝ち取る。これを目標にした、僕の「偏差値70からの大学受験」がついに始まった。「受験に絶対はない」はよく聞く言葉だ。しかし僕は、敢えてそれに挑戦を挑むことになる。
「どうすればいいか」
そんな自問自答が繰り返されるなか、ついに2浪目最初の模擬試験がやってきた。
「受験は才能」このジレンマに、ついに決着がつくときがやってきた。
偏差値70からの大学受験Part6に続きます。
今回のシリーズ面白いです。
続きが早く読みたいです。
ところで読んでるうちにブログのデザインがコロコロ変わって面白かったです(笑)
ちょうど更新しているときに来たようですね。
コメントありがとうございます。
試行錯誤中でした。
偏差値70からの大学受験シリーズ早く更新します。