偏差値70からの大学受験Part7

からの続きです。

 


 

 

8、驚異の偏差値80!神戸大学志望者、全国第一位!

  これが「夜間」の実力だ!

 

 

 

9月15日。日本で最大規模の模擬試験が行なわれる日、僕はまるで受験本番の様に緊張していた。「まずはここでヤキソバに勝つ。必勝!」こう自分に言い聞かせ、僕は試験会場に向かう。

サ−クル中が注目するわけで、僕の英語以外の成績も、くっついて公表されるわけだ。パ−フェクトな成績表を出してやりたかった。

ただ僕には自信があった。英語の他に、その切り札は「国語」だ。

ハイレベルな問題集を片っ端から購入し、すべて「要約」する。早稲田慶応レベルの過去問題も、すべて「要約」する。これを2年間近く毎日毎日やっていると、どんな問題でも解けるようになっていた。古文も大体完璧に近く、死角はなかった。

 

ヤキソバはバイトの帰り、余裕でやってきた。会場の大教室に入るなり、「模擬試験なんて久しぶりだなぁ。試験といえば、いつも神戸大学の期末試験だからなぁ」と近くに座っている受験生に、ワザと聞こえるような声で話し出した。周りの受験生は会話を止めて、ヤキソバの方を見ていた。当然だ。彼らの憧れである「神戸大学」の学生がここにいるのだ。輝かしい勝者が、今自分たちと同じ模擬試験を受けているのだ。

ヤキソバは確かに勝者だった。俺は格が違う、という自信が満ち溢れている。僕はなおのこと、彼に勝たねばならなかった。

試験は怒濤のごとく過ぎていった。

 

その後の結果は恐ろしいものだった。僕は返ってきた結果を見て、何がなんだか分からなかった。

「ヤリ過ぎた」

それが最初の感想だった。そう、ここまでヤル必要はなかったのだ。

英語は9割近くで偏差値77。数学は75、公民は65。そして何より、国語は83だった。特に現代文はほとんど間違えていなかった。マ−クは満点。記述で多少引かれたくらいだ。

4教科で75、0。3教科で78、3もあった。早稲田慶応の様な私立志望者の中ならば、全国8位だった。執念の結果だ。これなら日本全国どこの大学を志望しても、A判定だ。

僕の志望校には、しっかりとあの大学名が書かれていた。

そう、「神戸大学経営学部、昼間コ−ス」と。

偏差値62の大学を、偏差値78、3の実力者が志望しているのだ。当然A判定。そしてぶっちぎりで全志望者中トップだった。全国で1100人程度が志望していたが、全員敵ではなかった。

最大の皮肉だった。「神戸大学」全国志望者のトップに立った男が、神戸大学「夜間」なのだ。「夜間」をバカにする「昼間」のトップが、「夜間」なのだ。仮に経営学部じゃなくて、どこの学部を書いても、僕はダントツ一位だっただろう。それなりの成績だ。つまり僕は、その年度の神戸大学トップになった。

 

続いて英検準1級。その試験に出る単語レベルは、「異常」とも言えるものだった。普通の受験生なら、まず読めないだろう。ただ当時の僕に「分からない」単語はほとんどなかった。

何も問題ない。余裕で合格した。2次試験の面接はあるけど、受験者の9割は受かるので、もう僕は合格したのも同然だ。

ついに僕はとんでもないところまでやってきた。全国クラスというレベルまで、到達したのだ。「夜間生」であるこの僕がだ。

成績表を持った僕は、最初にシンジさんのもとに向かう。

ただ自分で言うのも何だが、僕はこの時正常ではなかった。この成績が僕を少しずつおかしくさせていたのだろう。

彼はいつもの食堂にいて、僕の結果を待っていた。

「どうでしたか?」彼はこの勝負を応援していた。「夜間の意地をみせてやりましょう」これが合い言葉だった。僕は黙って模擬試験と、英語検定の成績表を渡す。

彼はみるみる顔を変えた。そして一言目だった。

「貼りましょうか?」

 

僕はこの時の衝撃を忘れない。あの極限の状況だったからこそ、出た言葉だったのだろう。「模擬試験を大学中に貼り出す」、こんな事思いも寄らないことだった。

サ−クルだけではない。大学の昼間の連中に全員見せつけてやるのだ。「夜間とはこんなもんだ!偏差値が何だ!」こう叫ぶのだ。

シンジさんは興奮気味に言った。「この成績なら貼り出せます。誰も文句言えないですよ。神ですよ!こんな成績、僕は今まで見たことがありません!いくら神戸大学生でもありえない成績ですよ」と。

昼間だけじゃない。夜間で卑屈にコンプレックスに溺れている奴にも、この成績を見せつけたかった。クラスでは夜間生が、未だに「自分の頭の良さ」をアピ−ルし合っていた。裏では「あいつはバカだ」と友達の悪口をも言い、自己満足している。怪しいプライドが、錯綜していた。ハタから見れば何て惨めな光景だろう。

「コンプレックスなら、正々堂々戦おうぜ!」 僕はただそれだけを、彼らに言いたかったのだ。

その日、僕達は本当に普通ではなかった。「模擬試験を貼り出す」、そんな発想普通なら到底思いつかないだろう。ただあの時は、確かに何でもありだった。

それからの1週間、毎日カップラ−メンにしてお金を作り、模擬試験ビラを500枚もコピ−した。真っ黒な下地に、模擬試験の成績が張り付けられ、題字には大きな文字で、「僕、夜間!偏差値80!僕ってすごいでしょ?」「夜間の実力はこんなもんだ!」と踊っている。そして成績表の「志望校」の欄には、「神戸大学昼間コ−ス、全国1位」と書かれ、マジックでグリグリにマ−クしてある。その横には、「夜間、ナメんな!」の文字。一種異様なビラだった。

僕達は夜遅くまで、大学中にビラを貼りまくった。ありとあらゆるところに貼りまくった。掲示板、教室の壁、挙げ句の果てには天井まで張り付けた。その姿はもはや「普通」ではない。「異常」だ。

この時から僕は心に決めた。「もう黙っているのは終わりだ」と。

正々堂々勝負してやる。みんな見ていろ、この僕が偏差値80の夜間生だ!

僕は自分の中で、何かが変わっていくのに気付いていた。平凡平和で過ごしてきた、あの高校時代が懐かしかった。僕の人生は確かにフツ−だった。ただ今は違う。僕はこの手で神戸大学中を敵に回し、そして全国という舞台で勝負するのだ。

もう後戻りが出来ない、そう僕は自分に言い聞かせた。

 

 

9、10月。神戸大学中を巻き込む、驚異の模擬試験ビラ!

  夜間生が全員敵になる!

 

 

次の日の朝、僕はサ−クルの「ロング」という昼間の神戸大学生からの電話でたたき起こされた。

「あれ、オマエだろう!学校が大変なことになっているぞ!」

彼の声は興奮気味だった。しかし寝ぼけている僕には、彼が何のことを言っているのか分からない。彼は繰り返した。「早く大学に来い!早く!」と。

 

大学に行ってみると、驚くべき光景が広がっていた。ビラが貼ってある場所には、黒山の人だかりが出来ていたのだ。予想もしないことだった。

普通、大学には様々なビラが貼ってある。サ−クルの勧誘チラシやら、思想団体のメッセ−ジなど、大量に貼ってある。これはありふれている風景なので、誰も足を止めて、それぞれのビラを見たりはしない。

ところが、この「模擬試験」ビラでは話が違った。誰もが通った受験の成績表だ。しかも「夜間」のものである。さらにその数字は驚異的なもの。学生全てがこれに、強力に吸い寄せられた。食い入るように見入っている。「受験なんて終わったよ」こういう勝者達でも、興味津々だった。

僕はてっきり、「へぇ」ぐらいで、流されるもんだと思っていた。誰も関心など示さない、そう考えていたが、大きくその予想はくつがえされる。

その人だかりの側に行くと、「何だこれ?」「夜間が受けたらしいよ」とざわめきあっている。「こんなくだらないものに・・・」とク−ルを装いながらも、我慢できないのか、目を凝らして眺めている。挙げ句の果てには、教授までもが興味深げに立ち止まった。

大学中ありとあらゆる所で、「模擬試験ビラ」の話題がもちきりだった。食堂で勉強していれば、隣に座るほとんどの学生達が、「見た?」「見た!見た!」「何だあれ?」「何でこんな事するんだろう?」など、ビラ事件で盛り上がっていた。「

中には「俺は昔、偏差値がこうだった」とか思い出話に花を咲かせる者、「あの成績表は、英語がどうだ、数学がどうだ」と、ご丁寧に分析までする者までいた。もうみんなが夢中である。

大学生活はとかく暇だ。そんな彼らにとって、「偏差値ビラ」は最高のスパイスだったようだ。「そんなに偏差値が大好きか」、僕は強く確信した。

ビラに対しては、もちろん賛否両論あったが、平均して「こんな事するなんて、気持ち悪い。だけどすごい」というのが、昼間の連中の意見だった。

昼間の連中は、一応受験の「勝者」だ。だから余裕があるんだろう。

 

ところが、夜間では話が違った。

誰もが認めざるを得ない成績を叩き付けてやった。しかも「夜間」がだ。昼間の連中の評判をくつがえしてやった。そして僕は受験を正々堂々戦うことを、宣言してやったのだ。だから僕は、夜間の連中がほめてくれる、もしくは「あの斎藤が・・・すごい」と言われると思っていた。中には僕と同じく、自分のコンプレックスを認め、戦いを決意するものが現れる、とまで思っていた。

しかしとんでもなかった。

クラスに意気揚々と入っていくと、まずは「ヒルマ」が駆けよってきた。そして怒りに満ちた声で、「何であんなことするんだ!くだらない!何が受験だ!夜間の恥だ!」と吐きつけてきた。何を言ってるんだ、夜間がバカにされているのは、オマエでも分かるだろう!逆に評判を上げてやったのはこの僕だぞ、こう怒鳴り返してやりたかった。ただ僕も大人だ。ここは抑えた。

そんなにくだらないなら、無視すればいいだろう、イチイチ構うなよ、僕はこう言った。 すると彼の顔はみるみる引きつり、最後にこう言ってのけた。

「何が偏差値80だ。何にもすごくないぜ。そんな数字でイキがるなよ」

さすがの僕でも、これにはキレそうになったが、その怒りを通り越して呆れていた。もう彼らには何も伝わらないのだ。

IQは「こんなの誰でもとれるじゃん。サイトウはバカだ」と繰り返し、僕の悪口を広めはじめ、未だ状況は変わっていない。いや、むしろ以前より状況は悪化した。

その日、昼間の学生と違い、夜間の学生には余裕が無かった。

ビラの周りに黒だかりに集まり、興味津々なところは昼間生と変わらないものの、そのビラに口汚くののしっていた。誰もほめたり、すごいなんて言ったりする者はいない。

「何が受験だ、くだらない!何でこんなことするんだ、バカ!」こればっかりだ。

僕は思わず言ってやりたかった。

去年のバクダンにしてもそうだ、「バカだ、クサイ」と言われているのは、オマエらの方なんだぞ、と。

僕は一躍夜間の中では有名人になった。いや、全員が敵になったと言った方が、良いのかもしれない。名前は知らなくても、教室に入れば全員から注目された。決して良くは思われていない視線だ。中には睨み付けている奴もいる。

僕はビリビリとこの肌で、自分一人抜け出した感覚を感じていた。

彼らはとても元気だった。何故なら僕がとてつもない成績を出しているとはいえ、まだ夜間にいるからだ。彼らは全力をもって、僕を止めにかかった。

「ヤツを外に出して、勝者にしてはいけない」、そんな意識だ。

 

僕がその日大学を帰る頃、IQ、ヒルマ、イガ、その他のコンプレックス連中が一同に集い、僕を待ち構えていた。

そして僕の目の前で、嫌らしい笑みを浮かべながら、こう言い放ったのだ。

「こんなのたかが模擬試験だよ、くだらない。大学に受かったわけじゃない!こんなビラ、全部剥がしてヤルよ。何にもすごくない!」。

彼らは僕達の模試ビラを、ことごとく剥がし始めた。「正義の味方」になったつもりか、彼らは得意満面だった。

僕は黙って引き下がるしかなかった。シンジさんはこの話を聞き、「ますますここに居たくなくなりました」とこぼす。絶望がさらに深まっていったのだ。

 

僕は怒りに満ちた。

昼間のヤキソバは僕の成績を見て、「こりゃすごい、オマエはすごいんだな」と認めてくれた。さすが勝者の余裕。ここの成績では負けても、天下の神戸大学生だ。人生では負けてはいない。イチイチこんな些細な勝負に目くじらは立てない。またサ−クル中の評判も一変した。良くは思われないものの、「タダ者ではない」という評価になった。

しかし夜間は全然違う。口で言っても、分からない。ところが体で分からそうとしても、それでも分からない。

とんでもないヤツを怒らせてしまった事を、彼らは気付いてはいないようだ。

僕は決心した。彼らを後悔させてやるまで、僕は敢えて戦ってやる。もう止められないし、止まらない。

 

 

10、11月。日本で唯一の1年生編入試験登場!

  大阪外国語大学、偏差値70!

  そして戦いの火蓋が切って落とされる!

 

 

 

クラスではどっから出てきたのか知らないが、「日本で唯一、1年生が受けられる編入試験がある」という話が回ってきた。

 

普通、編入試験というのは、2年生が秋から冬に受けるものだ。そして3年生から合格した大学に移動する。

編入は大体どんな大学にもあって(東大はない)、実際の一般入学試験よりは、正直偏差値は5、6下がる。だから頑張れば確実に合格出来るのだ。

ところがここで「1年生の秋に受け、2年生から移動出来る試験がある」というのだ。つまり「1年生編入」である。その大学名は「大阪外国語大学」。東で言えば、東京外国語大学とほぼ同レベルであり、関西では名高い一流大学である。大体偏差値は、学科によって65から70。幸い1年生からやり直している僕にも、受験資格がある。

当日面接の試験官が話していた事だが、この1年編入は日本全国ここだけであり、その分人気が集まって、一般の試験よりやや難しいらしい。実際受験してみて、僕もそう感じた。そうなると偏差値70オ−バ−になる。極めて難関だ。

もちろんクラスの夜間生は、誰も受けない。そんな勇気はない。

そして注目が僕に集まった。

「斎藤は受けるのか?それとも逃げるのか?」

 

当然受験する、僕には迷いなんて無かった。2月の一般受験の前に「夜間」を脱出が出来るのだ。もうこんなコンプレックスから抜け出せるのだ。チャンスは絶対逃したくはない。

こうなるとIQ達は、黙って僕の不合格を祈るしかなくなった。ここまで来ても、相変わらず行動は起こさないらしい。

受験学科はどこにするか?

僕は国語を極めていたので、日本語に興味があった。どうせ勉強するんだったら、日本語学科かなとまで思った。しかしそんな事関係ない。偏差値が一番高く、胸を張ってエバれる「英語学科」しかない!ヤリたいことなどクソくらえだ!

幸い高校時代、バイトして貯めた少しの貯金が残っていた。これを全部、受験料3万円に注ぎ込み、「絶対合格」に向けて走り出した。偏差値的には試験科目英語も偏差値80近くあり、何の問題もない。大阪外国語大学だったら、100やって10返ってくるラインに十分入る。

「今度こそいける!」

去年より確実な手応えが僕にはあった。

 

11月25日。大阪外国語大学1年編入試験日。その日が運命の開戦日となる。

ほぼ時を同じくして、シンジさんの戦いにも幕が切って落とされる。こちらの舞台は2年生編入だ。彼は万全を期して、京都大学、大阪大学、東北大学、神戸大学の受験を決めていた。2年間の怨念がこもる、編入ランキング2位の彼だ。ここまで受験すれば必ず受かるだろう。必勝体勢だ。もう僕らは夜間には帰れないのだ。

 

僕達に去年の事が、ふと頭によぎる。

この受験はともに受かるしかない、という事だ。どちらかの脱出では勝利ではない。二人そろって合格しなければならない。僕達は無言にも、その事は分かっていた。

今年、彼とはうわべの「友情」を超えた、固いキズナで結ばれた。ともに戦う同志だ。周りは全員敵だった。辛いときはお互い励まし合った。カズヤに次ぐ、僕にとって2人目の戦友なのだ。今度こそ、二人とも勝利しなければならない。ここからが本当の勝負なのだ。

ついに「脱出」と「ブランド」をかけた僕達の長年に渡る戦いが、終幕に向けて最後の加速を始めた。

 

 

11、最後の戦い、受験本番!

 

 

 

試験前日、僕は興奮してなかなか寝つけず、ようやく眠りについたのは、明け方に近かった。そんな浅い眠りの中で、僕はこんな夢を見た。

時は大阪外国語大学合格者発表日、合格したのだ。

「去年は絶対に自分の番号はなかった!しかし今は目の前にある!夜間から出られる!」 ここで目が覚めた。

しかし目覚めてもまだ、その興奮がおさまらなかった。心臓が高鳴っている。去年のあの不合格は、僕の心に強く面影を残していた。「抜け出せる」という事が、「自分には有り得ない」というイメ−ジでしかない。不吉な予感が、大きく膨らんでいく。

「夜間脱出」、これが夢にも近い憧れとして遠のいていった。

 

試験会場である「大阪外国語大学」は山の中にある、素晴らしい大学だった。2年前からは考えられない場所に、僕は立った。教室に入ると、女の子ばかりだったが、全部で100人以上はいただろうか。

しかし僕は全員誰もライバルだとは思わなかった。

敵は自分だ。この自分なのだ。もう、どうなるか分からない。この偏差値80の力を、全て時の流れに任せた。

この手で全てが変わる、不可能なことなど何もない。そう叫び続けたドラマの最後だった。

 

試験は会心の出来に終わる。

1時間目の英語では長文の記述と英作文。どちらも今の僕には問題なかった。悩むことは何もない。まずは完璧だろう。

2時間目の論文では、試験時間60分で「世界のグロ−バル化について、自分の意見を1000字で論述せよ」というものだった。これも「東大対策」で論文訓練は完璧にしていた。結果、「これ以上はない」という論文を書き付けたのだ。

パ−フェクト、しかしそれでも僕は安心などしていなかった。

「会心の出来」と言うが、去年の受験もそうだった。あの時も悔いはない勝負だったはずだろう。どうすればいいんだ、と悩みに悩んだこの戦いだ。まだ「絶対」など有り得ない。

 

 

12、12月。悲劇は終わるのか!?涙に浸る屈辱の12月10日!

 

 

 

外語大の試験が終わった11月末、僕達は最悪のスタ−トを迎える事になる。同志であるシンジさんが立て続けに落ちたのだ。

大阪大学、京都大学不合格。成績的に「必ず受かる」という、神戸大学法学部まで連続不合格。僕はその結果が信じられなかった。彼は絶対合格のラインにいた人間だ。この戦いは、やはり呪われているのだろうか、僕達はそう考えるしかなかった。

しかしここまでだった。この「不運」にも彼はついに勝ってみせる。そう、ここから勝利の日が始まるのだ。

その2、3日後の事だった。

 

「東北大学に受かりました!」電話で叫ぶシンジさん。これが、彼のドラマの終わりだった。

やはり勉強し続ける事なのだろう。力があれば、必ず受かるのだ。

僕は喜んだ。本当に嬉しかった。今年は合格にふさわしい友が、合格した。妬みなどあるはずもない。だからこそ次は僕の番なのだ。その時から、僕の合格発表まで1週間。シンジ、カズヤが合格した今、ついに僕は最後の一人となった。

 

合格発表前日、12月10日のことだった。僕はこの日を忘れない。

いつもの様に大学の授業に形だけ出て、一番後ろに座り、受験勉強をする。

僕を避けるように、前のほうでIQやイガ、ヒルマが座っていた。そして見渡せば、大教室が100人近くの夜間生で埋まっている。

 

僕は何でこんなところにいるんだろう。

 

そんな夜間生の姿を見ながら、心の中でつぶやいた。

偏差値80を取った。夜間全員の誰よりも、偏差値は高い。僕は一番努力、苦労している人間だ。しかし最後の最後まで残ったのは、紛れもない僕自身だった。僕は世間から見れば、この夜間生なのだ。どんなに頑張ろうが関係ない。「クサイ」と評されても文句は言えない。

僕は帰り道の途中で、立ち止まった。

いつもの様に、美しい神戸の夜景が広がっている。2年間眺め続けた、変わりない景色だ。そう、いつまでも変わらないのだ。

僕は一人で泣いていた。

限界だったのだ。実力を上げれば上げるだけ、強がりは増した。しかしその裏で、空しさも募っていったのだ。何でここまでやらなきゃならないのか。

僕は初めて弱音を吐いた。そうしたら、その切なさ耐えられなくなっていた。涙を流したのは、あのカズヤの合格以来のことだった。

家に帰ると、英検準1級の面接試験合否通知が届いていた。面接は普通、9割は合格する。落ちるはずのないその結果は、以下の通りだった。

合格点23点中、僕は22点。

あと1点だった。不合格。

僕を支えるものは、もう何も無かった。


 

偏差値70からの大学受験Part8続きます。

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ABOUTこの記事をかいた人

東大理三を目指して浪人し、東大模試で理三A判定、センター試験本番で93%得点したところまでは良かったが、550点中1.8点差で不合格になり、慶應医学部に進学して、勉強法ブログをずっと書いているどんぐり。 あと英単語・古文単語学習用アプリを作っています。