リクエストがあったりしたので自己紹介の続きを書きたいと思います。
昔の記事ですねえ。
医学部を目指したのはなんか良い職業だと思ったからです。
医者は大変だぞなんて言う大人を信用していなかった。
なんだかんだで高給取り、それも単純に市場価値が高いのに加えて
既得権益が上乗せされたかなり“良い”職業だと思っていました。
家が普通のサラリーマンだったので逆にそういうことに執着したのかもしれません。
ところで上の記事で書いた、なぜ医学部志望が理三志望に変わったか、ですが
一言で言えば自分が全力で受験勉強したらどこに行けるか興味があったからです。
きっかけは高校3年のときBOOKOFFで東大理三2003という本を読んだからです。
この東大理三シリーズの本は今も毎年出ていると思います。
まあ今思えば鼻につくような話も多いんですが、当時の僕は純粋に彼らをかっこいいと思いました。
そして、自分ももしかしたら行けるんじゃないかという気になりました。
まあ当然です。受かった人しか載っていないですから。
実際は受けて落ちた人が受かった人の何倍もいて、
恐らくさらにその何十倍の人が受けることすら諦めていると、頭では分かっていましたが。
これを読んで行ける気がしたんですね。
しかし高2の終わりの成績は文系の教師には理系に行くから捨ててると思われ、
理系の教師には文系に行くから捨ててると思われるほどの酷いものでした。
高3の初めの面談で医学部志望と口にしたら凄く気まずい感じになってしまいましたので、
もちろん理三などと口にはしませんでした。
医学部を目指して現役時代猛勉強していましたが、思いの外成績の上がりが良かったんですね。
ただ、現役時代は数3Cや化学2物理2の分野はそれぞれ教科書レベルが終わりませんでした。
数列?三角比?なにそれ?みたいなレベルから勉強してたので仕方ありませんが。
それでも現役で地方の国立医学部になら受かりそうな成績になりました。
でも悩みました。このペースで成績が上がるなら、
浪人して全範囲勉強が終わって、過去問をやり込めば、理三も夢ではないかと…
それで高3の12月のある日、やらずに後悔よりやって後悔だなと思い立ちました。
ただ、反対されると思って親には言えなかったですね。
現役の受験を捨てて、浪人して理三を目指すなんて正気の沙汰ではないと思います。
未だに言っていません。
それで結論から言うとわざと手を抜いて落ちました。
センター本番でも手を抜きましたし、落ちても不思議がられないように旧帝大を受けました。
その二次試験も手を抜きました。
唯一誤算だったのは慈恵会医科大学に受かってしまったことです。
英語で長文の問題を放棄しましたし、物理2化学2数3Cが解けないですから
受かるはずがないと思っていましたが…
数学は1A2Bの範囲から多く出題されて、その分野が全完だったんですね。
それでも受かるはずないと思っていましたが。
筆記試験を突破してしまい、面接の練習が出来たのは良かったですが。
それで浪人するときに予備校を探そうと思っても慈恵を蹴って浪人すると言うと断られることがありました。
慈恵より良い大学に受かる保証はない。慈恵に行って早く医者になるべきだ。と言われました。
結局浪人し、誰にも理三志望であることを明かさず、こっそりと東大模試など受け続けました。
A判定からD判定まで取りました。
浪人時のセンターを94%くらいで乗り切ったあと、突然両親に理三を受けたいと直談判しました。
両親は目を丸くしてましたね。
結局理三には550点満点中1.8点ほど足らず、慶應医学部に進学しました。
(東大はセンターの点数を変に圧縮するので小数点が出ます)
ちなみに慶應医学部は現役時代、全く手を抜かずに受験して落ちました。
そんな感じだったので未だに大学受験に未練があって、こんなサイトを運営しています。
私が受験生の頃に参考にした大学受験勉強法のサイトはやはり廃れました。
参考書も変わっていきますから。自分が受験した当時の知識だけでは古くなってしまいます。
私は家庭教師をやりながら最近の参考書で分かりやすいものを探してはいます。
私もいつまで出来るか分かりませんが、まだ少し続けたいと思っております。
コメントを残す